「三浦文学でフットパス」上富良野・旭川・和寒3市町の“発見”

「三浦文学でフットパス」上富良野・旭川・和寒3市町の“発見”

 8月26日(土)と27日(日)、「三浦文学でフットパス2017」に参加しました。
 三浦作品ゆかりの地を歩く2日間の旅で、初日は、『泥流地帯』の舞台=上富良野町、そして『氷点』の街=旭川市をウォーク。2日目は『塩狩峠』の記念館もある和寒町を歩き、夫婦岩の壮観も堪能できました。

 昨年から始まった「三浦文学でフットパス」ですが、3市町のフットパスプログラム全てをめぐる試みは、今回が初めてです。遠くは東京や兵庫県から、また、道南の函館市からもファンの方々が参加され、うれしい出逢いに満ちた2日間でした。
 私は歩くことが好きで、実は日々「歩数計」をつけて、ちょこちょこ歩きまわっています。今回の歩数は、1日目は2万歩、2日目は1万歩をカウント。森林浴も兼ねたコースで、リフレッシュさせていただきました。

 3市町各地で、心づくしのご案内をたまわったことが、何より印象に残っています。実行委員各位のご厚意と、深く刻まれた地域愛が、言葉を超えてじかに伝わってきたようにも感じます。「人」=「トポス(場所)」=「文学作品」という密接なつながりを、体感することができました。
  “仲間とともに歩き、その土地の来し方を知り、語らう”――これまでも「文学散歩」等はありましたが、フットパスは、その地域の歴史を、ともに歩いた仲間たちと発見/再発見してゆく愉しみがより大きいと実感しました。それはまた、三浦文学の生成過程の発見/再発見にもつながりますね。
 その発見/再発見の1つとして、初日の夜にホテルで行われた交流会では、三浦文学館で好評をいただいている「ミニシアター『泥流地帯』」が上演されました。充実した演出と朗読は、フットパスからさらに知的好奇心を拡げる、新たなプログラムとしても機能していたようです。

 これまでは正直、「文学作品で地域づくり」や「文学で地域間連携」などは難しいと思い込んでいましたが、人と地域が主役のフットパスは、文学=“物語”を添えると、さまざまな可能性が見出せそうです。
 今回は、私にとっての“フットパス元年”。次回は、ご一緒に歩いてみませんか?

田中 綾

劇団「河」31年ぶりの復活

劇団「河」、31年ぶりの復活公演を観て

 7月15日(土)、旭川市の伝説的な劇団「河」の「詩と劇に架橋する十三章」を観劇する機会に恵まれました(@旭川市市民活動交流センター)。31年ぶりの“復活公演”で、気温30℃を超える暑さにもかかわらず、観客席は満席。童話と詩の朗読を織り交ぜた前衛的な舞台に、客席からの拍手は、いつまでも鳴り響いていました。

 北海道のアングラ演劇をリードした劇団「河」については、那須敦志さんのご芳著『“あの日たち”へ~旭川・劇団『河』と『河原館』の20年』(中西出版、2016年)にくわしく、1970~80年代の演劇シーンの熱さが伝わってきます。
 同書によると、劇団代表の星野由美子さんは、旭川市立高等女学校での三浦綾子さんの後輩にあたり、星野さんが経営した美容室に、綾子さんもよく訪れていたそうです。さらに、星野さんは高野斗志美・初代館長とも交友があり、戦後の旭川の文化・芸術地図が見渡せるような一冊でした。

 しかも、私が短歌にかかわるきっかけとなった歌人・福島泰樹さんが、「河原館」(劇団「河」が拠点とした小劇場)でイベントをされていた写真も発見。当時まだ子どもだった私の“アウェイ”感から、一転、まるで、こころの“ホーム”のような親しみさえわいてきました。

 本書をきっかけに、31年ぶりの公演が実現したわけですが、その記念すべき公演をお知らせくださったのは、三浦綾子記念文学館朗読友の会「綾の会」の中辻明さんでした。中辻さんは、この公演に「紅小路旭」名でご出演――なんと、まさに劇団「河」、1970年代の役者のお一人だったのです。

 「詩と劇に架橋する十三章」は、1974年が初演。原案は松島東洋さんで、当時の構成・演出は、塔崎健二(故人)。複数のバリエーションがあり、旭川ゆかりの詩人・小熊秀雄の童話「焼かれた魚」を基調に、今回は10編の詩が朗読され、まさに「架橋」という趣向でした。

 飯島耕一「他人の空」、田村隆一「再会」、鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」、そして私が愛読する石原吉郎の「葬式列車」、さらに、現代の餓鬼図をテーマに据えた黒田喜夫(1926~1984年)の詩の朗読の場に立ち会えるとは……感慨もひとしおでした。

 私が学生時代にあこがれた戦後詩・現代詩の記憶を呼び醒まし、刺激を与えてくださった劇団「河」、次なる公演が今から待ち遠しいです。

田中 綾

「第二回文学フリマ札幌」のご案内

 この7月9日(日)に、「第二回文学フリマ札幌」が開催されます(11:00~16:00@さっぽろテレビ塔2階 入場無料)。
 「文学フリマ」は、文学作品の展示即売会で、プロの作家でも、アマチュアでも、誰もが〈文学〉の担い手となって、雑誌などを販売できます。

 北海道では、昨年2016年に初めて札幌で開催され、関東や関西など遠くからも参加者が集い、文字通り“熱い”一日を過ごすことができました。
 私も、勤め先の大学の夜間部のゼミ生が作った文芸誌「道憬(どうけい)」で、出店してみました。ゼミでは毎年1冊、文芸誌を刊行していますが、小説や詩、短歌の創作だけではなく、表紙のデザインなども得意な学生たちが、工夫を凝らし、いきいきと積極的に参加していました。
 おかげさまで、ゼミ誌も「完売」! あらためて、御礼申し上げます。

 今年の第二回目は、「道憬」に加えて「A207」という2冊のゼミ文芸誌で出店しますが、北海道のいくつかの大学の文芸サークルも、熱心な活動を続けていて、学生同士で交流できたことが何よりの収穫でした。
 「若い世代の文学離れ」と言われますが、意外に、そうではないのかもしれません。
 電子書籍や、ケータイ小説もありますが、若い人々も、「紙の本」へのあこがれを強く持っているのですね。

 さて、今年は、「三浦綾子記念文学館」も、初めて文学フリマに出店します。
 「氷点村文庫」の2冊(『おだまき』『ストローブ松』ともに2016年)と、『三浦綾子さんにちょっと親しむ小冊子』(難波真実著、2016年)などを並べる予定です。
 入口に近い「いー1」というブースで、職員や、ボランティアさん、そして私も近くにおりますので、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

田中 綾

『細川ガラシャ夫人』からひろがる、和歌の世界

 
 6月1日から、企画展“『細川ガラシャ夫人』明智光秀の娘・玉子の「道ありき」”が始まります。
 今、大学のゼミで、新潮文庫版上下二巻の精読を進めていますが、女子学生に人気のテレビアニメ『刀剣乱舞―花丸―』(2016年)のエンディングで、細川ガラシャの辞世〈散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ〉が使われていたそうですね。
 その辞世はじめ、『細川ガラシャ夫人』全編を通して、和歌が多く引用されています。これは、史実に残されていたこととともに、綾子さんが、闘病時代から短歌に親しんでいたことも関係があるのではないでしょうか。
 
 父・明智光秀が命を奪われたあと、娘である玉子の身にも危険が迫ります。そのため、夫と離れて味土野(みとの)に隠れ住みますが、家族への想いが、次々に歌われました。

 ・忘れむと思ひすててもまどろめば強ひて見えぬる夢のおもかげ(下巻p106)

 また、そんな玉子に、夫・忠興も慰めの和歌を贈っていました。

 ・な嘆きそ枯れしと見ゆる草も芽も再び萌(も)ゆる春にあはむに(下巻p144)

 約2年後、ようやく夫との日常を取り戻しますが、女性が一人の人間としては生きづらい時代であった戦国時代、苦しさ、つらさは、さらに歌となってほとばしり出ていました。

 ・さだめなき心と人を見しかどもつらさはつひに変らざりけり(下巻p209)

 玉子の生涯と、その和歌を、展示パネルと小説で、ぜひ味わっていただきたいと願っております。

田中 綾

「ミニシアター」開幕 ―就任1カ月の愉しみ

「ミニシアター」開幕――就任1カ月の愉しみ

 

 文学館の周りも雪がとけ、ウォーキングが楽しみな季節になりました。

 館長という大任を仰せつかってから早くも1カ月――このサイトや、文学館のfacebook、ツイッターに、たくさんのアクセスをありがとうございます。

 しかもこの間、思いもがけず、新聞社やラジオ局、勤務先の大学の新聞会(学生による)などから取材を受け、さあ、困った! 実は“アドリブ”で話すのが大の苦手なのです……。

 大学の講義や、高校への「出前講義」、短歌の講演などは、きっちり「原稿」を用意して臨むのですが、その場で「さあどうぞ」となると、小さい声がさらにさらに小さくなり、目も、あらぬ方に泳ぐばかり。

 そんな私が、この4月に新規スタートした文学館イベント「ミニシアター」に、突如、登場することになったのです。来館者の方々の目の前で、職員による解説と、ボランティアの方々による朗読、映像、音楽をコラボさせたイベントで、その場限りの“ナマ”シアター。またまた、困った!

 ところが――。

 時間をかけて周到に準備された台本と、説得力ある映像、さらにボランティアの方々の堂々とした朗読が、緊張感をすっかりときほぐしてくれました。しかも今回のミニシアターの内容は、『道ありき』。昨年、大学のゼミ生たちとじっくり読んだ一冊でもあり、朗読の一部を担当したのですが、思わず情感をこめて語ってしまいました。

 とはいえ、この上の動画(4月29日撮影)は“アドリブ”で、こちらは緊張しまくりですね。話しつつ、首ふりが多いのがお見苦しいのですが、このクセは、戦争体験者の方々の傾聴をしたり、学生の悩みを聞くときに、いつもうなずきながら聴いているからです。むしろ、私の個性としてご笑覧ください。

 そして何より、今後の「ミニシアター」、どうぞご期待ください。

田中 綾

2017年4月12日の活動

事務局の難波真実です。
本日(2017年4月12日)は田中綾館長の出勤日。
(記念すべき第1回の出勤日です)

今日は、関係先の訪問(ご挨拶)、各種打ち合わせと決済、報道の取材が何件かずつあって多忙でしたが、
合間を縫って、企画展の確認をし、ボランティアの方々と談笑し、びっしりと詰まったスケジュールをこなしました。

2017年4月12日 企画展を観る田中綾館長(2階第4展示室にて)
2017年4月12日 企画展を観る田中綾館長(2階第4展示室にて)
2017年4月12日 ボランティアの方々と田中綾館長(文学館喫茶室にて)
2017年4月12日 ボランティアの方々と田中綾館長(文学館喫茶室にて)

次回の出勤日は、4月22日(土)です。

及川恒平さんとのコラボ曲「咲(わら)って」

 フォークファンの方々に、「及川恒平」さんの名前はお馴染みでしょう。そう、元「六文銭」のメンバーで、「面影橋から」「出発(たびだち)の歌」はじめ、歌い継がれている名曲がたくさんあります。現在も、ソロのほか、「六文銭」時代の四角佳子さんと「K2」というユニットで全国ライブをされ、道内でも、旭川市はじめ各地でライブをされています。

 北海道美唄市生まれ、釧路市育ちの恒平さんが、2005年、私の詩に曲をつけて歌ってくださいました。CDアルバム『ほしのはだ』収録の「咲(わら)って」という曲です。

 「咲」の文字で「わら」うと読む例は、『古事記』にもあります。とはいえ、この詩のわらいは、けっして明るい、快活なわらいではありません。

 少し長くなりますが、詩の背景を書きとめておきましょう――。

 「咲って」は、北海道増毛町出身の文芸評論家・小笠原賢二さん(1946~2004年)の葬儀の際のこころを、ことばにしたものです。

 小笠原さんは、「週刊読書人」の文芸欄担当を経て、評論の道へ。小説はもとより現代短歌にも造詣が深く、『終焉からの問い 現代短歌考現学』など、2冊の短歌評論集もあります。現代短歌を、〈現代文学〉として評価し、文学史に位置づける大切な仕事をなさいました。そんな小笠原さんが、闘病の末、2004年10月に他界。享年58。東京都台東区の法昌寺で葬儀がとりおこなわれました。

 台東区は雨でした。私は、恩師である菱川善夫と、大学院同期の歌人・吉田純(あつし)さんと、飛行機で駆けつけました。菱川先生が、弔辞で「偉大なるわが弟よ」と語ったほど信頼をおいていた、小笠原賢二さん。

 残されてしまった私たちの、喪失感。無力感。

 「なあんにもできないの  ないの   の」

 参列者の受付を手伝いながら、棒立ちの私は、やるせない、ことばにならない表情をうかべるばかりでした――。

 しんみりとした色調の歌ですが、親しい方との別れを経験された方には、思いあたる部分もあるかもしれません。及川恒平さんの澄んだ唄声と、写真の世界(趣味というよりほぼプロの域!)にもひたってみてください。

田中 綾

生きる、生ききる。(ごあいさつ)

生きる、生ききる。

 〈平凡な事を平凡に詠ひつつ学びしは真実に生きるといふこと〉。旧姓「堀田」での、綾子さんの短歌です。深く愛した前川正さんが亡くなり、その後、運命的ともいえる光世さんとの邂逅(かいこう)。「真実に生きる」、この下の句は、決して常凡なことばではなく、光世さんとともに生ききる宣言として読み味わうこともできるでしょう。

 生きる、生ききる。そして、他者とわれさえも赦(ゆる)すこころ——綾子さんの小説は、それらを深く考えさせてくれます。

 「三浦綾子作文賞」の選考委員をつとめて以来、毎年私は、綾子さんの小説を読むことから1年を始めています。その年を生ききる力を、いただいているのです。

 幼いころから自信がなく、今なお生きづらさを抱えている私は、だからこそ、文学作品に支えられてきました。

 けれども、私が日ごろ接している〈平成〉生まれの学生たちは、文学や文学館とは、やや距離が遠いようです。過去から学ぶことの大切さ、また、文学作品を読み味わい、そこで得られる発見や愉しさを手渡していくことは、切実に求められているものでしょう。

 とはいえその方法は難しく、模索中です。

 それでも、ひとすじの光を見いだしてもいます。戦前・戦中を描いた『母』や『銃口』、被占領期が舞台である『氷点』はじめ、綾子さんの小説は、風圧きびしい歴史を生ききった人々の姿、こころを描いています。これからの時代を創り、生ききる世代にも共有できる作品であることに、励まされる思いです。

 最後になりますが、この三浦綾子記念文学館を、短歌の「上の句(五七五)」と「下の句(七七)」にたとえてみましょう。

 すでに「上の句」は、多くの賛助会員の方々、ボランティアの方々、地域の皆さま、そしてかけがえのない初代高野斗志美館長、続いての三浦光世館長、さらに熱意あふれる職員の方々によって、完成されています。

 私は、その確かな「上の句」に加え、若い世代にも伝わりやすい方法を試みるなど、前向きで、新たな「下の句」を皆さまと創り出していけたら……と願うばかりです。

 今後とも引き続きのお力添えとあたたかなご支援を、こころよりお願い申し上げます。

田中 綾