2冊の三浦綾子論集

三浦綾子生誕100年というメモリアルイヤーに、
小田島本有氏による『三浦綾子論 その現代的意義』(柏艪舎)
https://www.hyouten.net/?pid=168696978 と、
竹林一志氏による『三浦綾子文学の本質と諸相』(新典社)
https://www.hyouten.net/?pid=168697272
ほぼ時を同じくして刊行され、刺激を受けながら拝読しました。

小田島氏は、三浦綾子の作品から受けた感動を基底とし、読者の享受のしかたそのものに忠実に、解説を試みています。作品に誠実に向かい、土居健郎『「甘え」の構造』(弘文堂、1971年)はじめ、精神医学、社会学等の著作を補助線として、その感動のありかをわかりやすく解説しています。

そして竹林氏は、これまで発表されている先行研究を適切に引用し、さらに、綾子の作品中の文章の出どころ(聖書の引用など)を明らかにし、学術的・実証的に論述しています。また、文体分析とからめて三浦綾子の伝道ストラテジー(戦略)を一つひとつ具体的に明かし、その解明の手法も実に鮮やかです。

異なる方法論による2冊が、ほぼ同時に刊行されたことは、三浦綾子の小説の魅力をさぐるうえでたいへん参考になるものと思います。

さらに興味深いことに、両書には接点もあります。三浦綾子の小説と夏目漱石の小説との、共通点や差異を見出しているところです。

古くは、佐古純一郎氏が「三浦綾子の『氷点』と夏目漱石」(『三浦綾子のこころ』朝文社、1989年所収)において、「人間のエゴイズム」という文学的テーマの系列で、綾子の『氷点』を「漱石山脈の主題性をもっとも正統的にうけついだものといえまいか」と述べていました。その視点が、はからずも、2冊の新刊にも受け継がれているのです。

その、小田島氏と竹林氏のご著書について、文学館ホームページの【案内人ブログ】No.59、No.61で、森敏雄さんが、「『三浦綾子論 その現代的意義』を読んで」、「『三浦綾子文学の本質と諸相』を読んで」と、読後感を早々に発表しています。

No.59 https://www.hyouten.com/oshirase/14975.html

No.61 https://www.hyouten.com/oshirase/15075.html

森さんもいち早く、夏目漱石との接点に注目しておられます。佳き本は、佳き読み手を得られるということの証でしょう。

その意味でも、この2冊はぜひセットで読み味わっていただきたいと願っています。

田中 綾

『泥流地帯』映画化 キャスティング予想2022

7月23日(土)にBS朝日で放映された、三浦綾子生誕100年記念番組「いのちの言葉つむいで」(北海道テレビ=HTBでは、8月7日(日)10時30分~11時25分にも放映)、ご覧いただけたでしょうか。

 https://www.bs-asahi.co.jp/inochinokotoba/ (BS朝日の番組案内より)

 女優でエッセイストの美村里江さんをナビゲーターに、三浦綾子ゆかりの地の美しい自然と、その生涯が描かれ、たいへん見応えがありました。

どのエピソードも、映像やナレーションを活かして効果的に伝わりましたが、あらためて感動したのは、終盤の上富良野町での映像でした。

「泥流の証明」の看板を立てた地層。「開拓する前の地層」の上に、30年もの長い苦労の末に築かれた「開拓した地層」があり、その真上に、圧迫するように、硫黄の香りが残る「泥流地層」が……。たった1日の泥流が、30年もの人々の苦労をひと息に呑み込み、流し去ったことが生々しくうかがえました。

その後、客土を繰り返して復興に至ったわけですが、その説明の後に、NPO法人環境ボランティア野山人理事長の佐川泰正さんが引用された、拓一と耕作の祖父・市三郎の言葉。

「目に見えるものが問題じゃねえ。目に見えないものが大切じゃ」

『泥流地帯』「山合の秋」六より

これらの史実をかみしめたうえで再読すると、いっそうこの言葉の重みが迫ってきます。

 

 さて、『泥流地帯』映画化に向けて、学生たち(大学3,4年生・23人)にアンケートをとってみました。2年前にも試みましたが、新たに名前の上がった役者さんも多く、興味深いです。

みなさまの予想は、いかがでしょうか……?

(公式『泥流地帯』映画化プロジェクト ツイッター)
【公式】『泥流地帯』映画化プロジェクト/三浦綾子(@deiryu_chitai)さん / Twitter

【『泥流地帯』映画化 キャスティング予想2022☆】 

※お名前の後の数字は、回答した人数です。順不同・敬称略。

拓一:鈴木亮平4、菅田将暉、岩田剛典、松坂桃李、三浦翔平、北村匠海、福士蒼汰、山崎賢人、道枝駿佑、仲野太賀、佐藤健、田中圭、ジミー大西、安元洋貴(声優)

耕作:菅田将暉3、窪田正孝3、福士蒼汰2、竹内涼真2、山崎賢人、山田裕貴、生田斗真、吉沢亮、星野源、ムロツヨシ、田中圭、赤羽根健治(声優)

福子:上白石萌音4、森七菜2、上白石萌歌、福本莉子、新木優子、今田美桜、黒島結菜、清野菜名、長澤まさみ、福田彩乃、白石麻衣、広瀬すず、下屋則子(声優)

節子:松岡茉優3、今田美桜2、平手友梨奈、小松菜奈、永野芽郁、橋本環奈、杉咲花、上戸彩、上白石萌歌、芦田愛菜、広瀬アリス、戸田恵梨香、山口紗弥加が若返ってほしい、ガンバレルーヤよしこ、伊藤静(声優)

田中 綾

〈やさしい日本語〉で、三浦綾子を紹介――丸島歩ゼミ&ゼミ生の熱心な活動

丸島歩ゼミ「紐帯」第1号

文の構造が簡単で、日本語学習者にもわかりやすい〈やさしい日本語〉。そんな〈やさしい日本語〉を使って、北海道ゆかりの作家や小説などを紹介する活動に取り組んでいるのが、北海学園大学人文学部の丸島歩先生のゼミです。

ゼミ機関誌『紐帯』の第1号(2021年3月発行)では、市立小樽美術館、市立小樽文学館とも情報交換のうえ、小樽ゆかりの文学者・石川啄木、小林多喜二、伊藤整、岡田三郎、早川三代治を、ゼミ生さんたちが〈やさしい日本語〉で解説していました。

2022年に刊行された第2号では、より時代や地域を広げ、夏目漱石や茨木のり子、西條奈加、そして、三浦綾子と『泥流地帯』も〈やさしい日本語〉で解説されています。

すべてふりがながふられ、日本語を学ぶ人々に具体的に役立つ活動。今後もいっそうの広がりを見せてくださることでしょう。

丸島ゼミの活動は、以下のサイトなどで報告されており、今後も折々アクセスしていきたいと思っています。

Webサイト: https://sites.google.com/hgu.jp/yasajp/
note(Blog): https://note.com/hguyasajp
Twitter(活動報告): https://twitter.com/HGUyasajp

最後に、例として、以下、HGU丸島ゼミのnote2022年1月19日付 https://note.com/hguyasajp/n/na0535d0f1ae7 より、転載させていただきます。

三浦みうら綾子あやこについて
日本にほんの 作家さっかです。
1922
ねん4がつ25にちに 北海道ほっかいどうの 旭川あさひかわで まれました。

たくさんの 有名ゆうめいな 作品さくひんを きました。
旭川あさひかわに 「三浦みうら綾子あやこ記念きねん文学館ぶんがくかん」が あります。
そこに ある 
作品さくひんを 紹介しょうかいします。
かいたひと:みなみ、きょうか、しおみ

田中 綾

「あたたかき日光(ひかげ)」連載余話・その2──ジェームス? ジェームズ!

映画『エデンの東』

「新聞表記的には、ジェーム『ズ』・ディーンです」

 現在、北海道新聞に連載中の小説「あたたかき日光(ひかげ)──光世日記より」。その8回目の原稿チェックのときです。ご担当の部長からメールをいただき、「なんと!」と、間の抜けた声を出してしまいました。

彼はご存じ、1950年代の若きハリウッドスター。三浦夫妻が、その代表作『エデンの東』https://www.warnerbros.com/movies/east-eden を観たという話題で、原稿ではジェーム「ス」・ディーンと表記していました。個人的には、大沢逸美さんのデビュー曲「ジェームス・ディーンみたいな女の子」(1983年)でジェーム「ス」という発音に慣れ親しんでいたので、疑うことすらなかったのですが──検索すると、Wikipediaでもジェーム「ズ」表記となっていてびっくり!

 新聞社のかたにさらに調べていただくと、日本の音楽シーンには、ジェーム「ス」の表記で、岡林信康「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」(1994年)、Johnny「ジェームス・ディーンのように」(1981年)などの曲があり、夭折の名俳優がカリスマ的な存在だったことがうかがえました。

実は、新聞でも、過去の記事では「ジェームズ」「ジェームス」が同数くらいあったそうですが、厳密にはジェーム「ズ」なのだとか。いつごろからジェーム「ズ」表記が増えたのか、調べてみるのも一興かもしれません。

連載第8回目は、三浦綾子の『愛すること 信ずること』https://www.hyouten.com/hajimeno-ippo/101_aisurukoto の次の記述に合わせて、ジェーム「ス」表記にさせていただきました。光世の「人まね」「声帯模写」が飛び抜けてうまいという話題です~

いつか「エデンの東」の再映を見に行った。その夜、ふとんの中で彼がじっとわたしを見つめている。わたしはその顔を見て、思わずとび上がった。そこにはジェームス・ディーンが、悲しげにわたしを見ているではないか。余りのうまさにわたしはいささかうす気味悪くなったほどだ。そして知った。表情を巧みに真似ることができれば、全くちがった顔立ちの人間でも、その人に似ることができるということを。

三浦綾子『愛すること 信ずること』(1967年、講談社)

 光世さんの「ジェームス・ディーン」顔まね、相当巧みだったのでしょうね。想像しながら『エデンの東』をあらためて観てみませんか?

  田中 綾

ウクライナ情勢と、『石ころのうた』

三浦綾子 自伝小説『石ころのうた』

ロシアによるウクライナ侵攻から2カ月以上が経ちましたが、避難する人々には、今なお平安は訪れていません。
三浦綾子記念文学館は、いち早く平和を願う声明を出し、三浦綾子のエッセイ「剣によって滅ぶ」を英訳して世界の人々にアピールもいたしました。https://www.hyouten.com/oshirase/12564.html

ウクライナで18歳から60歳の男性を徴兵対象とみなしたことで、日本の大学生も、にわかに「兵役」という言葉を緊張をもって見つめているようです。
折しも4月、勤務校の授業で取り上げたのが三浦綾子の『石ころのうた』でした。昭和の戦時下に綾子が教員であったこと、そして、早熟な教え子「N」との会話について、120人近い受講生と一緒に考えてみました。

「先生、名誉って何ですか」
 Nはいった。今、応召兵たちに、
「まことに名誉なことであります」
と、誰かが挨拶した言葉をNはいったのだ。
「そうね、名誉って、ほまれのことでしょう」
改めて名誉とは何かと問われて、わたしはしどろもどろな返事をした。
「国のために死ぬって、そんなに名誉なことかなあ。ぼくには、嘘のような気がするんです」
Nはいく分怒ったような語調でいい、あと何年もしないうちに、自分たちも戦争に行かなければならない、そう思うと何となく生きているのがつまらないといった。
「この頃、時々死にたくなるんです。ぼくは、人間が生きているのは、不真面目だからだと思うんです。本気で真実に生きようと思ったら、人間なんて三分間と生きていられないと思うんです」
Nはそんなこともいった。不当に命を奪う戦争が、人間いかに生きるべきかの疑問を、彼に投げかけていたのであろうか。

三浦綾子『石ころのうた』角川文庫初版、1979年より

上の文章について、「『あと何年もしないうちに、自分たちも戦争に行かなければならない、そう思うと何となく生きているのがつまらない』と、15、6歳の高校生にうちあけられたとき、あなたなら、どのような言葉を返しますか(教員の立場でなく、友人の立場でも可)」と問い、その後に自由記述してもらったところ、現在のウクライナ情勢に引きつけて、“自分ごと”としてコメントしてくれたものがあったので、一部紹介したいと思います。

「どんなに軍国主義的な教育をしていても、思春期の若者に戦争というのは多大なる重圧をかけるものなのだと思いました。殺したくないという純粋な意志を押し殺して戦地に赴かなければならない兵士達が今後一切出てこない世界になってほしいです。ロシアとウクライナの戦争も含めて、殺し合いなんて愚かなことは無くなって欲しいです。」

「昨今のウクライナとロシアの戦争に関するニュースを見ていて、日本の現状を考えれば考えるほど、私も男子生徒「N」に似たような気持ちになってしまいました。このような気持ちから抜け出すために、世の中のために自分ができることは何なのかを考える日が、最近の戦争以降ずっと続いています。」

「戦争の話はずっと避けていました。どうしたって色々な想像をして苦しくなってしまいます。そして、人間の手から離れた意志や固定概念が恐ろしく感じます。
ロシアとウクライナの問題についてもなかなか触れることができません。
三浦綾子さんが「愚かだった」と自分を思えることは悪いことではありませんがその「愚かさ」が現代でもなくなっていない、消えずに亡霊のように存在していることが悲しいです。
戦中派であるとありましたが、戦争の惨事がメインの小説ではないと思うので、三浦綾子さんの小説をいくつか読んでみたいと思いました。」

はからずも、ウクライナ侵攻の同時代的な証言者となった若い世代が、『石ころのうた』を“自分ごと”として読み、考えているのです――このあとどのような心の動きが起こるのか、しばらく注視していきたいと思います。

田中 綾

「あたたかき日光(ひかげ)」連載余話・その1 ―光世さんはMayumiちゃん?

北海道新聞 2022年3月6日朝刊 連載開始を知らせる記事

ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが続く中、小説「あたたかき日光(ひかげ)――光世日記より」の連載が、3月26日にスタートしました。北海道新聞創刊80周年と、三浦綾子生誕100年を記念した共同企画です。
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/661450?rct=series
今後約1年間、毎週土曜日に掲載されますが、その執筆の背景について、備忘録も兼ねて書きとめておきたいと思います。

三浦綾子生誕100年記念事業の1つ、「三浦光世日記プロジェクト」に着手したのは、2019年4月のことでした。日記研究のため、勤務校に特別な許可をいただき、約4ヶ月旭川に滞在して文学館に通ったのです。研究者としては、本当に至福の時間でした。
三浦光世が遺した日記は、1938年の14歳から、亡くなった2014年までの76年分、63冊です。2015年に文学館に遺贈され、書庫で保管されています。
日記の内容の一部は、『三浦綾子創作秘話』(『積木の箱』について)や、『夕映えの旅人』(1995年7月5日~1996年9月30日について)、『ごめんなさいといえる』(『氷点』執筆について)等で公開された部分もあります。けれども、プライベートな記述もあるため、学芸員と少数のスタッフのみが閲覧を許されています。

まず手にとったのは、綾子と出逢う前年の1954年と、綾子に出逢った1955年の日記でした。綾子との邂逅によって、光世の中にどのような変化があったのか――どきどきしながら読み進めました。
ペンで書かれた日記には、時々読み取りづらい文字や、固有名詞も出てきます。けれども、数冊眺めていると次第に人名や地名などがわかってきて、判読もラクになってきました。仕事で忙しいときは、週末に数日分をまとめて書く、という律儀さも伝わり、「光世さんって本当にマメで、誠実な人だなあ」と、感心することばかり。

ある程度判読ができるようになってから、文字起こしを始めました。パソコンを持ち込み、パタパタと入力。当時は判読間違いや入力ミスもあったのですが、さまざまな発見もありました。
さて、その成果をノベライズ(小説化)するには、さまざまな切り口があり、何パターンか構想を練ることが必要でした。私の場合は手書きではなく、パソコンでメモをしていくわけですが、発想が次々浮かぶのでタイプする手が追いつきません。
「ああ、こういうとき、光世さんのように口述筆記してくれる人がいたら・・・」
と切望したところ――いたのです、“Mayumiちゃん”が。

“Mayumiちゃん”と言っても、ヒトではなく、「Mayumiスマートマウス」というパソコン用のマウスです。話しかけると、その音声をタイピング(入力)してくれるので、まさに、口述筆記のパートナー。
さて、そんな“Mayumiちゃん”はビジネス定型文は得意ですが、残念ながら短歌や話し言葉の認識は苦手で、時々、驚くような変換ミスをします(!)。「きゃー、光世さんはそんな言葉使わないよ~」などと微苦笑しながら、楽しく構想を練っていきました。
最近は、変換がかなり正確なiphoneのメモ機能も使用していますが、当初は、“Mayumiちゃん”が“私の光世さん”だったのでした。

 この「余話」は、不定期に続けたいと考えています。小説の執筆、引き続き励んでまいりますので、どうぞご期待ください・・・!

田中 綾

春日狂想~村上春樹とチェホフから、中原中也へ

映画公式サイト https://dmc.bitters.co.jp/ より

アカデミー賞4部門にノミネートされ、話題を集めている映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)。もうご覧になったでしょうか。https://dmc.bitters.co.jp/
村上春樹の短編を原作とした映画で、思い返せば、村上春樹作品に出合ったのは学生時代、『ノルウェイの森』(講談社、1987年)でした。当時は性描写が多いのでやや苦手だったのですが、のち、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社、1994~95年)で、歴史、暴力といったテーマに覚醒させられ、個人的には『海辺のカフカ』(新潮社、2002年)の緻密な構成に感心していました(構造分析するとわかります)。
今回の映画『ドライブ・マイ・カー』は、3時間という長さでもあり、公開当初は正直ためらいが……けれども、時間をやりくりして映画館に向かい、結果は大正解でした。

時間の長さをまったく感じさせないドラマ進行、かつ、すべてがロードマップでつながっているような緻密な脚本。なるほど、これは脚色賞(濱口竜介監督と大江崇允氏)にふさわしいように感じました。
劇中劇としても用いられているチェホフの『ワーニャ伯父さん』のセリフが、物語全体の通奏低音であり、主役を舞台俳優で演出家の「家福」、そしてその亡き妻を脚本家に設定した点も効いています。世界文学という教養がベースになっているので、国際的な評価が高いこともうなずけるでしょうか。
映画では、その家福の妻があっけなく病死してしまいます。その妻にあこがれていた若い男優・高槻の、長い長いセリフ。こちらは、原作からの引用です。

「(略)でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。(以下略)」
村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(『女のいない男たち』文春文庫)

大切に想う人と死別すると、残された者は、罪の意識や後悔にさいなまされます。そんなとき、「僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか」と。
「上手に正直に折り合いをつけ」ることは、サバイバル・コンプレックスを少しでも軽減させる方法でもあるのでしょう。

加えて、『ワーニャ伯父さん』のラスト第4幕の、ソーニャの有名なセリフにもしみじみと心を動かされます。さまざまな絶望、試練を伯父のワーニャと共有したあとの、長いセリフです。

「仕方ないわ。生きていかなくちゃ……。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ……」
Wikipediaより引用

「長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。」――観終わったあと、私には不思議な感動が起こっていました。村上春樹と、チェホフの『ワーニャ伯父さん』を補助線として、中原中也の詩がふいに浮かんできたのです。
村上春樹とチェホフと中原中也? 全然接点がないのに、と思われるかもしれません、私自身、これまで、そのような発想を持ったこともありませんでした。ところが、『ドライブ・マイ・カー』を観たあと、私のもっとも愛誦する中也の詩「春日狂想」が、ぐっと迫ってきたのです。

春日狂想           中原中也

 1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
 (略)

 3
ではみなさん。
喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。


        現代詩文庫『中原中也詩集』思潮社より

この詩は、厳密には全文を読まなければ味わえないものですが、「愛するもの」に先立たれ、残されてしまった人間の生き方(喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、/テムポ正しく、握手をしませう。)、自分自身との折り合いのつけ方が、けっして表層的なものではないことにあらためて気付かされました。ある作品が、思いがけずほかの作品の深い理解を喚起させることを実感できた思いです。

老婆心ながら――現在、『ドライブ・マイ・カー』は映画チャンネルなどでご自宅で鑑賞もできますが、その際には3時間ノンストップで観られる十分な時間確保がお勧めです。また、鑑賞時にはお子さんを近づけないこと(!?)もお勧めいたします。

田中 綾

河﨑秋子さん(三浦綾子文学賞受賞作家)の最新作、『絞め殺しの樹』

河﨑秋子『絞め殺しの樹』小学館 2021

毎年年始には三浦綾子の小説を読む、という習慣がありましたが、この年末年始は、河﨑秋子さんの5冊目の小説『絞め殺しの樹』(小学館) https://www.shogakukan.co.jp/books/09386626 を読んで、一年の計としました。
2020年に4冊目となる『鳩護(はともり)』(徳間書店) https://www.hyouten.net/?pid=156503060 が刊行されたばかりですが、早くも2021年末に刊行となった、『絞め殺しの樹』。帯文には、「三浦綾子文学賞でデビュー後、新田次郎文学賞、大藪春彦賞を連続受賞。最注目作家、入魂の大河巨編!」とあります。

ときは昭和。北海道根室の地で、降りかかる苦難の道をひた歩んだ、女性ミサエの物語。
ミサエを巡ってさまざまな人物が関わっていくのですが、「今度はいい人かな? ミサエを助けてくれるのかな?」と、ミステリーかサスペンスのように、はらはらしながら読み進めました。
コロナ禍でもあり、保健師として働くミサエの職業意識にも、感じ入るシーンが多くあります。

2019年に、第21回大藪春彦賞を受賞した『肉弾』(2017年) https://www.hyouten.net/?pid=131037597 では、最終章「狗命尽きず」で、「他の誰が望んでなくても、生きてやれ、お前ら。絶対に」と、「生」そのものに価値を置く発想が力強く描かれていました。この『絞め殺しの樹』では、そのメッセージがいっそう強さを増しているような印象を受けます。

P260「死ぬまでは、かろうじて生き続けるしかない。そのためだけに歩いた」

P278「自分の不幸に寄りかかり、そこから養分を得て生きていたのは、自分自身だ。
『わたし、まだ、死ねない』
まだ死ぬべき時ではない。自分は不幸なのだからと楽になっていい時ではない筈だ。
(略)
立てる限りは立つ。死ぬ時までは生きねばならない。」

岩手県在住の歌人・小笠原和幸さんの〈行く秋の風はさしづめ空念仏(からねんぶつ)/死ぬまで死ぬな死ぬまで生きろ〉(歌集『風は空念仏』2003年)という一首も、ふいに思い出しました。

ちなみに『絞め殺しの樹』は二部だてで、二部は雄介という青年が主な視点人物です。
そして、一部・二部ともに登場する「猫」という隠れ主人公(=もしかすると、本当の主人公かもしれません?)にもご着目を。

※河﨑秋子さんの、北海道新聞電子版連載コラム「元羊飼いのつぶやき」は、こちらからどうぞ→ https://www.hokkaido-np.co.jp/column/c_weekly_column/akiko_kawasaki/
『颶風(ぐふう)の王』(2015年、三浦綾子文学賞受賞作) https://www.hyouten.net/?pid=91722402 も併せてご覧ください。

田中 綾

頌春 「音読」という読書体験への期待

「15秒で音読できる三浦綾子」より

新年のご挨拶を申し上げます。
一昨年に続き、昨年も世界的に揺れ動いた一年でしたが、「おうち時間」という新たな言葉が定着した年でもあったでしょうか。

「おうち時間」「読書」「増えた」などで検索したところ、「公益社団法人 全国学校図書館協議会(SLA)」の公式サイトにたどり着きました。
 https://www.j-sla.or.jp/material/research/dokusyotyousa.html
同協議会は、毎年、全国の小・中・高等学校の児童・生徒の読書状況について、毎日新聞社と共同で調査を行っているそうです。そして、2021年に行われた第66回調査の結果は、私たち文学館スタッフにはちょっと嬉しい結果でした。

2021年5月1カ月間の平均読書冊数を見ると、小学生は12.7冊、中学生は5.3冊、高校生は1.6冊。調査開始以来、小中学生では過去最高の冊数となったということです。
全国の学校で取り組まれている「朝の読書運動」の成果もあるのでしょう、小中学生の冊数の伸びはほぼ右肩上がりで、学校や家庭での読書習慣が定着していることを実感できました。

「朝の読書」のほか、中学校や高校で読書のきっかけとなっているのは、放送部などで行われている「朗読」です。実際、私の周囲でも、高校の放送コンクールで朗読するために三浦綾子の『塩狩峠』を読んだ、という声が複数ありました。

小説を声に出して読むという試みとして、当文学館HPでは、昨年末から「15秒で音読できる三浦綾子」、https://www.hyouten.com/15byo 
「2分で音読できる三浦綾子」https://www.hyouten.com/2fun のページをもうけています。音読しやすいように漢字にはすべて「ふりがな」も振っており、日本語学習者にも役立つようなコーナーになっています。
1分間で話せる言葉は、300字から350字。一般的な「黙読」に加えて、「朗読/音読」というゆっくりした読書体験も、さまざまな発見が得られるものではないでしょうか。

さて、末筆ながら、今年は三浦綾子の生誕100年を記念してさまざまなイベントを企画しています。今後、少しずつ情報もお届けしていきますので、どうぞご期待ください。
本年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

田中 綾

本坊元児さん『プロレタリア芸人』と、マハトマ・ガンジー

多くの方々に支えられ、拙著『書棚から歌を 2015-2020』が、「しまふくろう新書」(北海学園大学出版会)から刊行されました。文学館WEBショップでも扱っております。

https://www.hyouten.net/?pid=164624354

短歌が引用されている本だけを紹介するという、“しばり”のあるブックガイドですが、実は1冊だけ、短歌が引用されていない本もご紹介しています(前著『書棚から歌を』深夜叢書社、2015年の時はひそかに数冊ありましたが、笑)。

どうしても読者に伝えたく、他の歌集の短歌と抱き合わせる形で紹介したのは、本坊元児さんの『プロレタリア芸人』(扶桑社文庫、2021年)。吉本興業所属「ソラシド」のボケ担当、本坊さんの著書です。

https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594088187

愛媛県松山市出身の本坊さんは、20代30代を、アルバイトや派遣労働をしながらお笑いに打ち込んだそうですが、芸人としての仕事はほぼゼロ。フリーの「大工」をしながら、労働にまつわるライブトークを行った体験などが、読みやすく書かれています。

具体的な仕事内容や、先輩たちの誇らしい姿が臨場感たっぷりに描かれ、観察眼のしっかりした書き手だなあ、という印象です。

残念ながら私自身はお笑いにうといのですが、「元児(がんじ)」という名前がマハトマ・ガンジーに由来し、ご本人が要所要所でそれを思い出す箇所にも心ひかれました。

それにしても、労働とは何ぞや。

私の名前の由来であるマハトマ・ガンジーの提唱する七つの社会的大罪のひとつに、労働なき富とあります。

世間の知らぬ二十歳の頃、労働なき富とは大家さんの家賃収入のことだと思っていました。成人男性の世間知らずは、それこそ社会悪ですね。

 (略 建設現場で黙々と働く荷揚げ屋さんの話題にふれる)

ブルーカラーやホワイトカラーといった嫌な言葉のある時代。インテリ太郎やブルジョアさんは、そんな仕事をしているのはそいつ自身のせいだと言う。

でも、必要なんだぜ!

誰かが運ばないといけないんだぜ!

建物の数だけ労働があったんだぜ!

だから、そんなことを言わないで欲しいんだ。必要な歯車なんだ。尊いものなんだ。

本坊元児『プロレタリア芸人』より

 

必要な労働、尊い労働のおかげで日々の生活が成り立っていることは、covid-19禍のただ中を生きる私たちが、あらためて実感したものでもありますね。

その本坊元児さんは、2018年秋、吉本興業の地域密着型プロジェクト「あなたの街に“住みます”プロジェクト」の「山形県住みます芸人」に就任。山形県西川町の古民家に移住し、畑と竹林を“月100円”で借りて、農業に取り組んでいるそうです。

You Tubeで、折々「本坊ファーム」での活動が報告されていますが、身体を張っての“労働”こそ、本坊さんの“芸”そのものなのでしょう。

田中 綾