及川恒平さんとのコラボ曲「咲(わら)って」

 フォークファンの方々に、「及川恒平」さんの名前はお馴染みでしょう。そう、元「六文銭」のメンバーで、「面影橋から」「出発(たびだち)の歌」はじめ、歌い継がれている名曲がたくさんあります。現在も、ソロのほか、「六文銭」時代の四角佳子さんと「K2」というユニットで全国ライブをされ、道内でも、旭川市はじめ各地でライブをされています。

 北海道美唄市生まれ、釧路市育ちの恒平さんが、2005年、私の詩に曲をつけて歌ってくださいました。CDアルバム『ほしのはだ』収録の「咲(わら)って」という曲です。

 「咲」の文字で「わら」うと読む例は、『古事記』にもあります。とはいえ、この詩のわらいは、けっして明るい、快活なわらいではありません。

 少し長くなりますが、詩の背景を書きとめておきましょう――。

 「咲って」は、北海道増毛町出身の文芸評論家・小笠原賢二さん(1946~2004年)の葬儀の際のこころを、ことばにしたものです。

 小笠原さんは、「週刊読書人」の文芸欄担当を経て、評論の道へ。小説はもとより現代短歌にも造詣が深く、『終焉からの問い 現代短歌考現学』など、2冊の短歌評論集もあります。現代短歌を、〈現代文学〉として評価し、文学史に位置づける大切な仕事をなさいました。そんな小笠原さんが、闘病の末、2004年10月に他界。享年58。東京都台東区の法昌寺で葬儀がとりおこなわれました。

 台東区は雨でした。私は、恩師である菱川善夫と、大学院同期の歌人・吉田純(あつし)さんと、飛行機で駆けつけました。菱川先生が、弔辞で「偉大なるわが弟よ」と語ったほど信頼をおいていた、小笠原賢二さん。

 残されてしまった私たちの、喪失感。無力感。

 「なあんにもできないの  ないの   の」

 参列者の受付を手伝いながら、棒立ちの私は、やるせない、ことばにならない表情をうかべるばかりでした――。

 しんみりとした色調の歌ですが、親しい方との別れを経験された方には、思いあたる部分もあるかもしれません。及川恒平さんの澄んだ唄声と、写真の世界(趣味というよりほぼプロの域!)にもひたってみてください。

田中 綾