田辺聖子の戦時下日記

文藝春秋 2021年7月号

「おせいさん」こと田辺聖子と、三浦綾子との接点は?
1つ目は、「1964年」が記念の年ということ。そう、三浦綾子が「氷点」で朝日新聞一千万円懸賞小説に入選した年です。この年の1月、田辺聖子は、「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」https://www.kadokawa.co.jp/product/301301000405/
で第50回芥川賞を受賞し、こちらも話題になっていました。
 もう1つ接点を探すとすれば、失礼かもしれませんが、結婚した年齢でしょうか。綾子は37歳、田辺聖子は38歳。当時としては、高齢での初婚というところも、不思議な縁がありそうです。

三浦綾子より6歳下にあたる田辺聖子は、1928年、大阪市生まれ。2019年に亡くなり、先日、3回忌を記念して戦時下の日記が発表されました。「十八歳の日の記録」(「文藝春秋」2021年7月特別号)です。
https://bunshun.jp/articles/-/46011

終戦の1945年当時、田辺聖子は満17歳(数えで18歳)。樟蔭女子専門学校(現、大阪樟蔭女子大学)の国文科2年生でした。学徒動員で、伊丹近くの飛行機部品工場で働いたのですが、その企業名が「グンゼ(郡是)」だったことも、時代性が感じられます。
10代ですでに小説を書いており、当時は「エスガイの子」という小説を書いていたとか。「エスガイ」はテムジン(ジンギスカン)の父の名前なので、歴史小説か、大陸を舞台とした冒険小説だったのでしょう。

日記は、等身大の言葉で書かれていました。写真館を経営する父が病気になり、しかも、大阪大空襲で自宅が焼け、これまでの原稿やノートが焼失……そのショックの中でも、たえず向学心を抱いていたところが読みどころの1つです。
田辺聖子は長女で、弟と妹がいました。日記でとても切なく感じたのは、敗戦後の女子教育に対する不安を述べた箇所でした。

1945年8月17日
(略)また、女子の教育も今までは戦争で男子を取られて女子が後をしなくてはならなかったが、これからは男子は戦争から帰ってくるから、女子は元のように家庭ヘ帰るべきである、と。
私はどうすればいいのか。
成るようにしかなるまい。

当時、男性が兵役で不在のあとを、女性たちが代わって、工場労働やさまざまな職に就いてきました。戦争のおかげで女性の就労の機会が増えた、という皮肉な歴史があったのです。
戦争が終わってほっとしたものの、田辺聖子は、女性の学びや就労について、危機感を抱いていたようですね。その辺りは、同年代のほかの人々の日記とも読み比べたいところです。

「十八歳の日の記録」は、この秋、単行本が刊行される予定とのこと。秋の夜長の読書にいかがでしょう。

田中 綾