ウクライナ情勢と、『石ころのうた』

三浦綾子 自伝小説『石ころのうた』

ロシアによるウクライナ侵攻から2カ月以上が経ちましたが、避難する人々には、今なお平安は訪れていません。
三浦綾子記念文学館は、いち早く平和を願う声明を出し、三浦綾子のエッセイ「剣によって滅ぶ」を英訳して世界の人々にアピールもいたしました。https://www.hyouten.com/oshirase/12564.html

ウクライナで18歳から60歳の男性を徴兵対象とみなしたことで、日本の大学生も、にわかに「兵役」という言葉を緊張をもって見つめているようです。
折しも4月、勤務校の授業で取り上げたのが三浦綾子の『石ころのうた』でした。昭和の戦時下に綾子が教員であったこと、そして、早熟な教え子「N」との会話について、120人近い受講生と一緒に考えてみました。

「先生、名誉って何ですか」
 Nはいった。今、応召兵たちに、
「まことに名誉なことであります」
と、誰かが挨拶した言葉をNはいったのだ。
「そうね、名誉って、ほまれのことでしょう」
改めて名誉とは何かと問われて、わたしはしどろもどろな返事をした。
「国のために死ぬって、そんなに名誉なことかなあ。ぼくには、嘘のような気がするんです」
Nはいく分怒ったような語調でいい、あと何年もしないうちに、自分たちも戦争に行かなければならない、そう思うと何となく生きているのがつまらないといった。
「この頃、時々死にたくなるんです。ぼくは、人間が生きているのは、不真面目だからだと思うんです。本気で真実に生きようと思ったら、人間なんて三分間と生きていられないと思うんです」
Nはそんなこともいった。不当に命を奪う戦争が、人間いかに生きるべきかの疑問を、彼に投げかけていたのであろうか。

三浦綾子『石ころのうた』角川文庫初版、1979年より

上の文章について、「『あと何年もしないうちに、自分たちも戦争に行かなければならない、そう思うと何となく生きているのがつまらない』と、15、6歳の高校生にうちあけられたとき、あなたなら、どのような言葉を返しますか(教員の立場でなく、友人の立場でも可)」と問い、その後に自由記述してもらったところ、現在のウクライナ情勢に引きつけて、“自分ごと”としてコメントしてくれたものがあったので、一部紹介したいと思います。

「どんなに軍国主義的な教育をしていても、思春期の若者に戦争というのは多大なる重圧をかけるものなのだと思いました。殺したくないという純粋な意志を押し殺して戦地に赴かなければならない兵士達が今後一切出てこない世界になってほしいです。ロシアとウクライナの戦争も含めて、殺し合いなんて愚かなことは無くなって欲しいです。」

「昨今のウクライナとロシアの戦争に関するニュースを見ていて、日本の現状を考えれば考えるほど、私も男子生徒「N」に似たような気持ちになってしまいました。このような気持ちから抜け出すために、世の中のために自分ができることは何なのかを考える日が、最近の戦争以降ずっと続いています。」

「戦争の話はずっと避けていました。どうしたって色々な想像をして苦しくなってしまいます。そして、人間の手から離れた意志や固定概念が恐ろしく感じます。
ロシアとウクライナの問題についてもなかなか触れることができません。
三浦綾子さんが「愚かだった」と自分を思えることは悪いことではありませんがその「愚かさ」が現代でもなくなっていない、消えずに亡霊のように存在していることが悲しいです。
戦中派であるとありましたが、戦争の惨事がメインの小説ではないと思うので、三浦綾子さんの小説をいくつか読んでみたいと思いました。」

はからずも、ウクライナ侵攻の同時代的な証言者となった若い世代が、『石ころのうた』を“自分ごと”として読み、考えているのです――このあとどのような心の動きが起こるのか、しばらく注視していきたいと思います。

田中 綾